九回裏、ツーアウト三塁。
バッターは、佐伯。
「かっ飛ばせー、さ・え・き!!」
長ラン姿の援団員が「ルパン」と書いてあるボードを掲げ、思い切りのいい太鼓の合図が響き渡った。
その直前、陶津(スエツ)先輩から声がかかった。
「ニシキ、スネア代われ」
「ハイ!」
「よっしゃぁ、気合入れっぞ!!」
「ハイ!!」
俺はすぐさまステッィックを手に取り、スネアの前に立った。
正直、0対1という接戦で、バスドラなりスネアなりシンバルなりをやり過ぎて、もう手が限界にきていた。何千何万回と擦れた皮膚は擦りむけ、血が滲んでいた。指も思うように動かないし、筋肉だか腱だかが千切れそうだ。汗だくで、声も枯れ、暑くて頭も痛い。え、熱中症!?
だけど、そんなこと気にしてられない。
そんなこと、どうでもいい。
命を懸けて(大袈裟だ)、吹奏楽部の誇りに懸けて、野球部を、大好きな佐伯を、俺は応援するんだ!!
トランペットとトロンボーンが強烈に鳴り響く。まるで世界の終わりみたいに(だから大袈裟だってば)。
バスドラもシンバルも叩きっぱなし。
もちろんスネアも叩きまくり。
手が勝手に動いちまう。自分の手じゃないみたいだ。
無感覚。
もう少し、持ってくれ。俺の意志よ、届いてくれ。
「かっ飛ばせー、さ・え・き!!」
一塁スタンド、一番上。俺は力の限り。
『カキン』
バッターボックスの小さな佐伯が、大きくバットを振りぬいた。
一瞬、五月の陽射しに焼けた球場が凍りついた。
誰もが息を呑み、その音が聞こえてきそうだった。
そしてその場にいたほぼ全員が目で追ったであろうまばゆいばかりの白球は、ライトフェンスに背をあずけた外野手のグローブの中に音もなく吸い込まれていった。
ゲーム・セットォ!!
春の大会決勝は、ここで終わった。
「おわ、スネアのヘッド、それ、血か?」
「は?」
隣りにいた陶津先輩の声で我に返った。
「ヘッド、っておまえ、手もスゲーぞ」
「え?」
手?
スティックを持った両手を見る。
げ、指の皮が剥け過ぎて手指スティックが血だらけ。しかも大事な楽器も汚れてる。だけど見た目ほど痛みはない。感じなくなってるのかな。
「あらら、ズル剥けっすねぇ」
実感のない傷を見ながらいった。
「仮性のくせになにいってんだ」
「なんで知ってんですか!?」
おいおい、この部活はプライバシーが無いらしい。
「包帯とかカットバンとか持ってねーの?」
「いや、無いっすねぇ」
とそこに一段下のスタンド席に座っていた瓜生が割り込んできた。
「カットバンすか?」
「お、瓜生、持ってんの? ニシキが仮性なのにズル剥けだっていい張ってさぁ」
カットバン、何に使うんだよ!
「いや、ニシキは仮性じゃなくて真性ですよ」
「だよなぁ」
情報は正しく共有しろ。
「つうことで、ニシキ、片付けはいいから、傷洗ってこい」
「はい」
陶津先輩、優しい!!
そんなやりとりの間に、傷がジンジンと痛んできた。試合が負けてしまった現実も、戻ってきた。佐伯に会いたかった。
球場の階段を下りて、駐車場にある水道へ向かう。同じ一年で中学から友達の瓜生も付いてきた。
「楽器の片付けはいいの?」
俺はぼんやりといった。
「ペットはそんな手間かかんねーの」
だからラッパやってんだよ、と瓜生。瓜生はトランペットをやっている。
「しかしさ、ちょっと手ぇ見してみ?」
「ん」
「うわ、バカだねぇ」
「バカじゃねぇよ」
「どうせ佐伯のため、とか頑張っちゃったんだろ?」
う、さすが中学からの付き合い。っていうかもっとオブラートに包め。
「別にそういうんじゃないよ」
「何故そこでツン?」
「うるさいなぁ」
「ま、おまえの勝手だけどさ、俺が佐伯だったとして、ニシキが応援でそんな手になってきたら、ちょっと引くぜ?」
「え、ウソ?」
「俺だったらの話。けど佐伯もバカだからなぁ、イイんじゃね?」
「結局どっちだよ」
「つかさ、おまえのそれって、自己満だろ? 血ぃ出るほど応援しなくたってイイじゃん。野球してるのは佐伯や野球部の人達であっておまえじゃない。血が出たって出なくたって変わんねーよ。それとも一緒になって苦しもうってか? やっぱドMだな」
長々と語って結論はドM!?
「そんなこといったらさ、何も出来ねーじゃん」
「フツーに応援してたらイイんだよ」
瓜生は普通に、なんてクールにいうけど、俺は知っている。誰にも負けないくらい唇腫らすくらい、トランペット吹いていたことを。その唇が証拠だよ。
「フツーなんて無理だよ。俺のこの燃え上がる闘志の炎は誰にも消せないんだ」
「だからおまえは戦ってないでしょ」
「戦ってたさ、自分と!! 俺のライバルは己自身とみた!!」
「はいはい、訳わかんなくなってきた」
「なんだと!!」
「デカイ声出せばイイってもんじゃねぇよ。ほら、水道あったから、手ぇ洗っちまえ」
何も言い返せない俺は黙って蛇口を捻って指の傷を洗った。
水道水が傷に滲みる。今頃佐伯、悔しがってるかなぁ。だけど一番悔しいのは、佐伯とその気持ちを共有できないことだった。
結局瓜生は正しい。戦っているのは佐伯であって、俺じゃない。俺と佐伯。人と人。100%分かり合いたい、そこまでは思わない。ただ、ただ・・・。
「いつまで洗ってんだよ」
瓜生が突っ込んできた。
「ああ」
俺は蛇口を閉めた。
「そら、タオルで手ぇ拭け。それと、カットバン」
「どうも」
「なに深刻な顔してんだよ。夏の大会じゃないんだから、甲子園行けなくなった訳でもねぇんだっつうの」
瓜生は更に続けた。
「イライラすんだよ。お前のフィールドは別にあんだろ? おまえはおまえの場所で戦え。それで対等だろ?」
あ、なんだろう、この感じ。その言葉。
ぴったりではないけど、心の隙間を、足りない部分を埋めてくれるような気がした。
「野球に嫉妬じてんじゃねぇよ、バカが」
恥ずかしいことを言い当てられた!! しかもバカ呼ばわり!!
冷たく言い捨てる瓜生。だけどその眼差しは温かい。
「うん、そうだな」
俺はカットバンを貼った指を強く握り締める。
「だけど、俺は自己満は止めねーぜ。むしろバカみたいにヤリまくるぜ!!」
どう、決まった!?
「自己満って、オナニーだろ?」
「・・・」
違う!! 断然違う!! 佐伯でオナニーなんてしたことない!!
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