狙われた秘密特訓 2
あいつに会ったのは、高校に入学して間もない、まだ四月の、秘密特訓も始めていない頃だった。
大きな地方都市の駅とはいえ、夜の八時を過ぎるとさすがに閑散としてくる。電車だって三十分に一本、下手したら一時間に一本しか来なくなるし、学生以外の人たちは大抵車を利用してる。
夜のプラットホームへと階段を下りていくと、誰もいないかに思えたところに、俺たちの高校の制服を着ている奴がぽつんと立っているのが見えてきた。
「あれ、シンジじゃん」
並んで階段を下りていた同じ野球部の綿貫コウヘイが隣で呟いた。すると向こうもこっちに気づいた様子で、途端に駆け寄ってきた。
「コウヘイ!」
階段を下りきったところで、あろうことか走ってきた奴は綿貫に飛びついた。
「コウヘイ! オレ、なんかもう、スゴク、真っ暗で!」
「シンジ、いいからちょっと落ち着け。とりあえず離れろ」
「だって、オレ、だって」
「なに泣いてんだよ」
「泣いてないよ!」
「泣いてんだろ」そう言って綿貫はシンジという奴の左頬を引っ掴んだ。「いいから落ち着いて、どうしたか言ってみろ」
シンジはどう見ても泣いているようだった。真っ赤な目を潤ませ、しゃくり上げるのを必死に抑えようとしている。
「オレさ、こんな時間まで学校にいたことなくてさ、テニス部の練習があって、しかも電車使うのオレ一人で、プラットホームにも誰もいなくて、周りは真っ暗だし、電車も来ないし、なんかもう、心細くなって、寂しくって・・・」
「ああ、そうだよな」綿貫はまだシンジのほっぺたを掴んでいる。「中学の時は学校も近かったし、すぐ帰れたし、同じ方向に帰る奴らもいっぱいいたもんな」
シンジは顔をくしゃくしゃにして、うんうんと頷いてみせた。また泣き出しそうな雰囲気だ。
「よし、じゃあホームの奥に売店が見えるだろ? あそこでアイスでも買って来い。オレがおごっちゃる」
「えっ、マジで? ホントに?」
一瞬にしてシンジの泣き顔が消え、輝くような期待に満ちた笑顔になる。
「ホントだよ、ほら」綿貫はここにきてようやくほっぺたから手を離し、財布を出して小銭を渡した。「行ってこい」
まるでご主人様の投げたボールを取ってこいと言われた犬みたいに、シンジは嬉々として売店に走っていった。ちぎれんばかりに尻尾を振っているのが見えそうなくらいだ。
いくら先月まで中学生だったとはいえ、アイス一つであんなにもガキっぽく喜ぶなんて、呆気にとられたと同時に、痛切に愛くるしく感じた。
この瞬間、あいつを好きになっていたんだと思う。
「知り合いなのか?」出来るだけ平然とした声で綿貫に訊いた。「同じクラス?」
綿貫は思案気に間を空けて言った。「浜田シンジ。小・中って一緒だったんだ。いわゆる幼馴染ってやつか」
「へえ」
「おまえ、ああいう柴犬みたいなコロコロキャンキャンした奴、好きだろ?」
「ああ?? 何言ってんだよ」
俺の兄弟はトシが十歳違う兄貴だけだった。かなりトシが離れていたせいで遊び相手にならず、小さい頃から家では大抵一人だった。どんなに外で遊んできても、家に帰れば誰もいない。だから弟がいればいいなぁっていつも思っていた。
そんな昔の思いが、あいつを見て、不意に湧き起こってきたんだ。溢れんばかりに、泉のように。
「じゃあ、手出すなよ」
綿貫は意地悪そうにこっちを見た。
「出す訳ねーじゃん」と俺。
うっ、なんだ? もしかしてこいつらデキてんのか? 俺は疑りの視線を返す。
濃ゆい眉毛に切れ長の目、地黒の肌にムッチリとした肉付き。典型的なキャッチャー・キャラ。しかもホントにキャッチャー志望で強力スラッガー。綿貫コウヘイ、いろんな意味でライバル出現か?
「しかし遅えなあ。シンジの奴、またどれにするか迷ってんな?」
「さすが幼馴染」と少し皮肉っぽく俺。
「おまえ、シンジ見るの初めてなのか? 学校も学年も一緒なんだぜ?」
「俺、体育とメシと部活以外は寝てるからなぁ」
「言っとくけどな、あいつ、新入生の中のカワイイ系で五本の指に入る人気なんだぞ」
「えっ、マジで?」
思わずそう訊き返してしまった。恐るべし、我が高校・・・。
<つづく>
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