「トキジク、朝から急に呼び立ててすまん」
開け放たれた縁側で新緑眩しい日本庭園を眺めていると、部屋の奥から声がした。
「スメラギがお出かけあそばしになられていることは聞いているか?」
「はい」オレはすっと腰を上げ、真っ直ぐに声の主を見る。濃い藍色の着流し姿の凛とした美丈夫、奇杵唱(クシキネ トナウ)さんだ。「なんでも野暮用とかで・・・」
トナウさんは、御祖、奇杵、沫蕩(ミヲヤ、クシキネ、アワナギ)、のスメラギ御三家の一つ、奇杵家の当主。御年40歳。
ふむ、と呟いて顎に手をやる。
「困ったものだな」
しかしその表情はまったく困った様子が見えない。無表情、というか沈着冷静が似合う。
オレは唱さんの言葉を待つ。この日高見の邸に呼ばれるということは、よっぽどのことなんだろう。
「いや、なに。今日未明から、すべての結界が消失してな」
「・・・、え? 消失?」
「うむ、ついでに電子的物理的セキュリティもな。それで未だ回復の目途がたっていないのだよ」
ちょちょちょ、ちょっと待て!!
それはとんでもない緊急事態だぞ!?
っていうことはこの辺一帯、というか裏山、そしてあの中御座(ナカミクラ)までも丸裸同然ということじゃないか。それは3月のスペースシャトル墜落以上だ!!
「しかし、そんなこと有り得るんですか?」
「うん、まぁ、現に有る訳だからなぁ。目下復旧に取り掛からせているのだが、思うようにはかどっておらんのだよ。どうやら、なにか障害があるようでな」
「何ものかが阻んでいると。そして原因もそのものに・・・」
「自然現象でなければ、そうなるやもな」
唱さんはまるで他人事のように言った。
うーん、冷静過ぎるっていうのもいかがなものか。
ていうか自然現象ではないだろう、磁気嵐じゃあるまいし。
まぁ、そこんところは既に承知のはずだろうけど、それにしても信じられない。
「頼みの綱のカンナギ達や遠見達の力がまったく働かなくてな。ま、それが結界消失の一因ではあるのだが。それで今、菊桐姫(キクリヒメ)に禊の支度をお願いしたのだよ」
なるほど、最善ではないにしろ、最高にして最終の一手は取られているのか。
「現在我々は目と耳を失っているも同然だ。何が出入りし、何が語られているのか知る術もない。が、全力を尽くしてはいる。いや、そうする以外にないのだ」
「そうですね。おっしゃる通りです」
「では、トキジクよ、おまえはおまえの成すべき事をしてくれ。それは十分心得ているだろ?」
「はい」
「スメラギの御心のままに」
と立ち去ろうとするオレに、トナウさんは声をかけてきた。
「ときにトキジクよ、朝飯はもう済ませたのか?」
「いえ、まだ」
「今朝、上等な鰈(カレイ)が手に入ったそうでな、美味い煮付けがあるのだが、どうだ?」
この邸の料理はすべて絶品なんだが、うーん、今日は止めておこう。こんな事態じゃなかったら飛びついていたのになぁ、くそぉ、なかなか無いチャンスなんだぞ。
「いや、今朝は止めときます。すべて片付いたら、そのときは是が非でも」
「うむ」
トナウさんは頷いて、静かに微笑んだ。
常に余裕なのか、器が大きいのか、それとも危機感が無いのか。
掴めない人だ。
それでも、頼りになるんだよな、絶大に。
オレは御祖家の人間じゃない。
雇われている訳でもない。
だから御祖家の人間に従う理由は無い。
スメラギ唯一人と契約を交わしているんだ。
御祖家がどうなろうと、MIOYAグループがどうなろうと、スメラギのオーダーを最優先とする。
それはオレが生まれた時から決まっている事。
いや、つくられた時から。
スメラギと、その眷属達によって。
不老であり、通常の人間とは次元を異にした身体能力、肉体構造。
それはもはや人とはいえない代物だ。
人の形をした異形。
今ではそれをそれをちゃんと理解してくれているのはスメラギだけだ。
人ではないのだと・・・。
ああ、あの頃に戻れたなら、なんて幾度も思っていた。
オレがつくられたあの時代。
まだカミガミが地上に居て、ヒトと交流を持っていた。
そして、そこには、春日麿が居た。
「おい、春日麿、起きろ、起きろ」
寮の部屋に戻って、まだ寝ている春日麿を起こす。
「う~ん、ダメだよ万木君、噛んだら痛いよぉ」
「なに寝ぼけてんだよ、起きろ」
「あれ、もう朝?」
「ん? まだ登校には早いけどな」
「え~、じゃあナニ~、早朝からするのぉ? 昨日沢山出したから、もう出ないかもぉ」
「だから、なんでおまえはそんなにカワイイこと言ってんだよ、違うって」
たく、ホントに襲っちまうぞ。
「オレ、今日は学校休むわ。もしかしたら、明日もかもしんねえ」
「へ? 具合でも悪いの?」
「そうじゃない」
そこでオレは言葉を止める。
パジャマ姿の春日麿は眠そうに目を擦りながら、起き上がって机の上の眼鏡に手を伸ばす。
眼鏡の奥で、まだ半開きの目が、オレに向けられる。
「ヨロ、キ、君?」
何かを感じ取ったのか、どこかがおかしいといった感じの顔をする。
「少し、留守にする。その間、おまえの力になれねえかもしんねぇ。だけど、自分を信じろ。何があっても、だ」
「ど、どうしたの急に? なんかあったの?」
「友達も信じろ。何かあったら守ってやれ。おまえにはその力がある」
「う、うん、分かった・・・」
春日麿。
やっと逢えたんだ。
一万年待ったんだ。
絶対に、守る。護る。
おまえを。そしてオレ達の日常を。
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御祖家とか、MIOYAグループとかの。