3 そばにいたい
剣之介は、昼間中、ずっとこの街を探索してまわっていた。自転車に乗って、暖かな風を切り、走った。
ここ、大槻市の市街地。駅周辺には大きく繁華街が広がり、デパートやホテルや飲食店やなんやかんやが集中している。そして駅から市役所や郵便局の方へ伸びる大通りがあり、それに交差する大きな国道があり、広々と住宅が敷き詰められている。そしてやたら公園が多い。ほとんど森のようなところもある。
大きな街ではあるが、端の方に行くと、住宅街は唐突に途絶え、いきなり開けた田園風景が始まる。空き地や荒地や林や森が現れる。東京や横浜のように、延々とどこまでも街が続く、ということはないのだ。ちゃんと田舎が存在するのだ。
遠出をして、久々の運動、上気した体、汗に濡れた肌。すっかり夕方になってしまった帰り道、スーパーに寄って夕飯の買い物を済ませた。
明日は入学式。太一の奴、しょっぱなから野球部の練習出るから、弁当作ってくれだと? いったい俺を何だと思ってるんだ?
そうイラつきながらも剣之介は、ちゃんと弁当のオカズを考え、買い物をしてしまう。やるからには徹底してやる。手を抜かない。
「ただいま~」
そう無意識に口にして、アパートのドアを開けた。既に外は薄暗いのに、部屋のどこにも明かりはついていない。
アレ? 変だなぁ。
いつもならもう太一は一日の練習メニューをこなして、ダイニングでテレビを見ながら夕飯をせがんでいる時間なのに。
胸がザワつく。
居るはずの人間が、居るはずの時間に、居るはずの場所に居ない。
どっか出かけたのか? コンビニでも?
あの時もそうだった。珍しく、遅くなるのかな? じいちゃん、まだ帰ってきてないや・・・。
そして、もう二度と生きて帰ってこなかった。
「太一ぃ、居ないのか?」
おずおずとふすまの閉まった太一の部屋に声をかけてみる。
返事が無い。シンと静まり返った、薄闇に沈み行く空間。
イヤダ、ヒトリニシナイデクレ。
置いていかれるのは、独りにされるのはたくさんだ!
まさか、太一まで・・・。
「太一ぃ!!」
思いっきりふすまを開け放つ。バシンっと大きな音が響く。
「オワッ!!」畳に敷いた布団から、その音に驚いた太一がガバッと飛び上がった。「びっくりしたぁぁ~! な、どうしたんだよ?」
今日発売のマンガ雑誌に夢中になっていて、部屋が暗くなっているのにも気付かずにいた。そしたらいきなりふすまが開いて、剣之介が呆然と立ち尽くしている。手にはまだ買い物袋を持っていた。
「お、おまえ、なにして・・・」
剣之介がらしくないたどたどしさで訊いてきた。
「なにって、マンガ読んでた。もうこんなに暗くなってたんだな。それで? 今日の晩飯はナニ?」
と言った辺りで、剣之介がいつもの様子と違うのに気付いた。
「おまえ、暗くなったら電気ぐらいつけろ! それに居るなら返事しろ!! このバカ!」
声が震えていた。大きく叫んでごまかしていたけど、はっきりとわかった。もしかして、泣いていたのかもしれない。
ピシャッとふすまが閉められた。足を大きく踏み鳴らし、剣之介が自分の部屋に入っていくのがわかった。
剣之介はいつでもどこかしらの明かりをつけている。寝るときもデスクライトをつける。外出するときもダイニングの明かりをつけていく。帰ってきて、部屋が暗いのを嫌がった。電気代が高くつくぜ、と茶化したら、意外にも、何も答えてくれなかった。
「ケンちゃん・・・」
太一はそう呟き、紐を引っ張って部屋の明かりをつけた。
岩熊太一が始めて古谷剣之介に会ったのは、小学一年生の夏だった。自分の母親がいつも自慢にしていた兄、太一にしてみれば伯父の息子、剣之介にずっと会いたかった。そして、出会えた。
周りにいる田舎の友達とはまるで違う、洗練されているというか、賢そうで、華奢で、柔らかく、可愛らしかった。一目見て、コイツと友達になりたい、と強烈に感じた。
だからいつでも剣之介にひっついて、抱きついて、この手の中に囲っていた。多少嫌がられてもいたけど、仕方が無い。もっとくっついていたかった、ずっと抱きついていたかった。でないとすぐにいなくなってしまいそうで・・・。もっと、もっと近くに。そばに。
案の定、剣之介一家は、年に二度ほどしか岩熊家を訪れなかった。当然、太一には足りなかった。いつも、焦がれていた。
そして、剣之介は忘れているかもしれないが、一ヶ月ほど、岩熊家に預けられていたこともあったのだ。太一には奇跡のような出来事だったが、その時の剣之介は、ほとんど心ここに在らずで、まるで抜け殻か人形のようだった。母親が死んでしまったのだ。
外に出ようとせず、それどころか何もしようとしない剣之介の面倒を、太一は必死になってやった。やれることはたいしてなかった。ただそばに居て、蝉の声がやかましい薄暗い部屋で、ゲームをしたり、空気のような会話をしたり、御飯を食べたり、ただ黙って座っていたりした。
守らなきゃ、守らなきゃ、オレがこいつを守らなきゃ。
そんな小学四年生の夏休みも終わろうとしていたある日、突然やってきた剣之介の父親に、剣之介は連れて行かれ、それっきりとなった。
その後は、父親に連れられて世界中を転々としていたらしかった。でしばらくして、母親から、剣之介は横浜にいる祖父に引き取られた、と聞かされた。太一は少し安心した。どうも剣之介の父親は好きになれなかったし、あの父親と一緒に居たら、剣之介は楽しくなれなそうだったから。
あれから五年ほどの月日が経った。今、隣の部屋には、激しく渇望した、剣之介が居る。そう、一緒に住んでいるんだ。
あの頃から、だいぶ変わってしまったようでも、変わっていないようでもあった。ただ、変わらないのは、自分が剣之介のことをちゃんと好きだということだった。
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