リビングの庭に面した窓から、午後の柔らかな光が射し込んでくる。
俺はソファーにぼんやりと腰を下ろしていた。
誰も居ない、静かな時間。
突然、電話が鳴りだす。
その音を聞いて、もやもやとした暗い不安に捉えられる。
すごく嫌な感じだ。久しく忘れていたはずなのに。
俺は不快な電話の音を止める為に、なにか良くない事だと分かっていても仕方なく受話器を取った。
男か女かも、年齢も、誰のものかもわからない声が受話器から聞こえた。
その声はもはや人の声かどうかすらわからなかった。
「おまえの親父は死んで当然だ!! 生き恥さらしやがって」
「わぁぁぁぁぁっっっ!!!!!」
叫び声を上げてベッドから跳ね起きた。
何が起きたかわからない。
息がひどく荒い。
嫌な汗で体が濡れている。
胸が締め付けられるように痛む。
数十秒か数分か、しばらくして落ち着いてから、思った。
夢・・・・か?
そうだ、夢だ。いつもの夢だ。
あれはもう終わったことなんだ。
今の俺にはなんの影響も及ばさないんだ。
なんとか理性を現実に引き戻して、今何時なのか時計を見ようとした。
アレ。
いつもの目覚まし時計がヘッドボードの上に無い。
ていうか、このベッド、ウチのじゃない。
こんな金属のパイプで出来た無味乾燥なベッドじゃないぞ? 俺のベッド。
それにこんな真っ白な布団カヴァーでもないし、そもそもここは俺の部屋じゃない。
ここは・・・・どこ・・・っつーか、ここは何っ!!??
あまりにも日常からかけ離れた現実に俺はいきなり放り込まれていた。
真っ白な布団カヴァー。
真っ白なタオルケット。
真っ白な枕。
真っ白なシーツ。
真っ白なパジャマ。
ベッドの周りにあるのは、
金属のパイプベッド。
スチールの机と椅子。
陶器の洗面台と便器。
そして何よりも異様なのが、この狭い範囲を四方に覆う透明な壁。
プラスチックか何かだと思う。
ガラスではないだろう。
俺は、透明な壁に囲まれた独房みたいなところに居た。
もちろん頭上にも蓋がしてある。
物音ひとつしない。
照明は透明な天井に設えられたシーリングライトだけ。
これは、閉じ込められている、ということになるのか?
そういう結論に行きついてはみたものの、余りに現実味がなくて実感が湧かない。
映画とかだったら動揺したり混乱したりするものなんだろうけど、実際いきなりそんな状況に置かれてみると、案外冷静、というか心が追いついていかなくて、麻痺してしまうものらしい。
それに、差し迫った危険の兆候が見当たらないのもある。
ちゃんと最底辺の、ホント最低ラインギリギリの物は揃っている訳だし。
あとは、食い物か・・・・。
「やぁ、お目覚めかい? 随分うなされていたみたいだけど、嫌な夢でもみていたのかな? 棚機錦君」
突然、声がした。
思わず体がビクッと痙攣した。
おそらく男の声。
誰か居るのか?
一気に緊張が高まる。
しかしこの閉じ込められている立方体の外には光源がなく、暗闇で見通せない。
いったいどれくらいの空間があって、どんな様子なのかうかがい知れない。
そしてその声は、どの方向からかは分からないが、闇の中から響いてきた。
「まぁ警戒するのも無理も無いが、遅かれ早かれそんなものは無駄だと分かるだろう。だからリラックスして、くつろいで居ることをお勧めするがね」
くつろげぇ?
はっ、よく言うよ。
しかし、無駄だってことは、しばらくは俺をここから解放する気は無いってことか?
声は、聞こえてきたときと同じく唐突に止んでしまった。
丁度いい、ちょっと状況整理をしよう。
思い出せ、思い出せ・・・。
俺は早朝、いつも通り家を出て新聞配達のバイトを終え、学校へ向かっている途中だったはずだ。
登校のどの辺りから記憶がないのか定かじゃないけど、そのどこかで何かをされ、この場所に連れてこられ、今の今までベッドの上で眠らされていた訳だ。
いったいどれくらい時間が経っているのか。
腹の空き具合からみて、1、2時間といったところかな?
体に痛みはなく、どこも異常は無さそうだ。
持ち物は、どこにも見当たらない。とりあえずここには無いみたいだ。
方法は分からないが、そう遠くへは運ばれていないのかもしれない。
ここは市内、あるいはその周辺。
こんな場所が用意してあって、ターゲットは俺だった。
計画的な犯行。
・・・・・・・、いったい誰が、目的はなんだ?
俺を拉致監禁することに、どんな意味がある?
つーか、俺、どうやってこの白い検査着みたいなのに着替えたんだ?
無理矢理?
裸にしたのか?
変なコトされてねーだろうな?
「ふん。こんな状況にありながら騒ぎもせず冷静でいるとは、なかなか面白いね。お父さんの教育の賜物かな?」
再び声が響いた。
どうやらリアルタイムで観察されているらしい。
「ん? 初めて真剣な顔つきになったね。まぁ、無理も無いか、お父さんがあんな扱いを受ければ。家族も苦労したんだろ? 大変だったろうね」
うるせぇよ、黙ってろ。
と怒鳴ってやりたかったけど、止めておいた。
どうやってもこの状況は改善しそうにないからだ。
それどころか改悪されかねない。
俺もちょっとは考えてるんですよ。
それに父さんの話が出てきたのもある。
父さんが死んだ頃だったら、あんなこと言われたら殴りかかってたところだけど。
今では毎日、父さんと過ごした時間を、教えてもらったことを、共に味わった体験を、思い出し、反復し、そこからいろいろ学んでいる。
それでもカッとなると後先考えないって主税や瓜生に言われるけどな。
ま、それは愛嬌。
「同情してくれるんなら、1つ教えて欲しいことがあるんだけど」
「ふん、一番適切な質問をしたまえ」
「何の為に俺を拉致したんだ?」
一番の疑問をぶつけてみた。
どう考えても俺みたいな一般市民をこんな大掛かりな場所まで用意して誘拐する理由が思い浮かばない。
「うん、そうだな、適切だな、この上なく」
声の主は独り納得したようだった。
「君を拉致監禁しているのは、人質であり、保険だからだよ。以上」
だから、誰に対しての人質で、何に対しての保険なんだよ!!!!このアホ!!!
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