4 桜の季節
剣之介と太一が入学する県立大槻高校は、二人の住むアパートから、普通に歩いて十五分ほどのところにあった。立地的には、市街地と郊外の境目辺りというところだろうか。ゆるやかに住宅地と田舎が混じりあっている環境だった。
そして入学式当日の朝。剣之介は自転車で行くつもりだった。
「歩いて行こうよ」と太一。
「おまえだけな。俺はチャリで行く」
「だって、オレ、チャリないもん」
「おいおい、チャリぐれぇ買えよ! 田舎じゃ重要な交通手段だぜ、ってなんで俺が田舎を定義しなきゃなんないんだ? 普通おまえの方が知ってることだろ」
「わがったよ、今度実家がら送ってもらうがら、だから、な? ホントお願い、一緒に行こうぜ? 最初ぐらい二人で校門くぐりたいんだよ」
・・・・、変な奴。いつものほほんとしてるクセに、時々妙なこだわりを見せる。こだわりというより、一種のわがままに近いのだが。そして太一のわけのわからないわがままに振り回されながらも、何故かそれを受け入れてしまう。心のどこかで、コイツには大きな借りがある、と囁く声が聞こえる気がする。そんなの絶対にあるはず無いのに。まったく厄介だ。
まだまだ風は冷たかったが、早朝の空気は新鮮で、体に甘かった。
はぁ、しかし今日から高校生、学校は面倒だ。まぁ、俺のこと知ってる奴は誰もいないし、このアホ太一とは違うクラスだし、ひっそり過ごしていくか。
広い校庭をぐるりとフェンスが囲い、それにそって延々と桜の木が植えられ、そのどれもが満開を迎えてきた。ざっと風が吹くと、すべての花びらがざわめき、生き物のように揺れる。短い、有限なる命。だからこそ美しいのだろうか。確かに、剣之介は桜の散り際が一番好きだ。脆く、はかなく散っていく、退廃の美。しかしそれは一年に一度のものであり、そして春が来れば再び見れるものだから美しいのだ。
それまで余りにも身近だったものが、突然失われ、もう二度と会えない、触れられない、無二のものが消えてしまう。美しいなどとはいっていられない。それは残酷であり、身を裂くような苦しみと哀切であり、喪失なのだ。もう、次はないのだ・・・。
「おい」
「・・・・」
「おい、ケン!」
誰かが自分の名を呼んだ。剣之介はハッとして振り返る。そこには、もうよく見知った、日に焼けた人懐っこい笑顔があった。
「桜、キレイだな。出会いと別れ、そこにはいっつも桜があるな」
隣を歩く太一が、頭の後ろで手を組んで、ピンクの霞を見上げた。
まだ出会ったばかりだ。だけど、コイツもいつかは俺のもとを去っていく。そう思うと、一歩身を引いてしまう。
そうだ、一歩身を引いていろ、委ね過ぎてはダメダ。失った時の傷が大きくなるだけだ。なるべく近づかないように、係わりあわないように・・・。
「何言ってんだよ・・・」
剣之介は呟く。
「ケン、どうした?」
まただ、コイツ、また俺のこと『ケン』って呼んだ。チャン付けじゃなく、『ケン』って。
「べ、別に・・・」
「大丈夫!」太一はいきなり肩に腕をまわして抱き寄せた。「田舎の高校だからって心配すんな! イジメられたらすぐにオレに言えよ? オレが守ってやるがんな!」
「ば、バ~カ、なに変なこと心配してんだよ。アホか。俺がイジメられる訳ねぇだろ。つぅか引っ付くな、離れろ! ホラ、自転車で追い越して行く奴らが変な目で見てくだろ!」
「いいじゃん、別に。変に思わせておけば♪」
「おまえは良くても、俺はイヤだ!」
「もう照れちゃって、ケンちゃん」
「てめぇ、殺すぞ!」
なんだか太一といると調子が狂う。こんな訳の分からない奴は初めてだ。こんな無防備に近づいてくる奴は初めてだ。
剣之介は驚き、戸惑いながらも、その接近のすべて拒むことは出来ないでいた。
嫌な奴、嫌な奴。油断出来ない。
学校の敷地を一周して、ようやく校門に着いた。入学式だけあって、親と一緒に登校する新入生も多かった。
職員玄関の前に広がるロータリーと、その真ん中にある芝生の庭と噴水。まだ溶けずに残っている汚れた雪。みんなぞろぞろと芝生を迂回して、奥の正面玄関へと歩いていく。
「んん?」
剣之介は思わず呻いた。冷たい空気を超えて、微かに切るような高い金属音が聞こえたからだ。
「どうした?」
「いや、ドラムの音が聞こえた。シンバル・・・」
「え?・・・」太一は不思議に思って、耳を澄ました。「ああ、なんか音楽みたいのが聞こえるなぁ」
「どっかで、ドラム叩いてる奴がいる」
確かに音楽みたいなものが聞こえてくる。多分吹奏楽部だろう。しかしこの風に乗って微かに聞こえる音の中から、なぜドラムの音だけ・・・、ああ・・・。太一には思い当たる節があった。
「そういえば、ケンちゃんの部屋に、ドラムのバチ、いっぱいあったな」
「・・・? おまえ、どうして知ってんだ?」
あ、ヤバイ。時々剣之介の部屋に無断で入って、いろいろ探索してるなんて言ったら、殺されるどころか嫌われる。そんなこと口が裂けても言えない。
「あ、いや、その、だがら・・・」どもる太一を、剣之介が睨む。「あ、ホラ、行ってみようぜ? なんか楽しそうだばい? ほらほら♪」
そう言って、剣之介の後ろに回り、せかすように背中を押してごまかした。
「なんだよ、押すな、バカ」
「いいがらいいがら」
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