5 ざわついた教室
太一に急かされながら、音楽が聞こえる方に行ってみる。どうやら人の流れもそこへ向かっているようだった。次第に音の輪郭がはっきりしてくる。校舎の棟と棟を繋ぐ渡り廊下の下をくぐると、中庭に出た。そして生徒専用昇降口の前で、ブラスバンド部らしい生徒たちが、楽器を持ち、パイプ椅子に座り、少し前に流行ったポップ・ナンバーを演奏していた。おそらく新入生の歓迎のためだろう。
それにしても、イマイチな演奏だ。どうしてもモサく聞こえて仕方がない。剣之介は両腕を抱いて、ブルっと身震いをした。
しかし、そんな中で、ドラムの音は、異彩を放っていた。
あのドラム、上手いな・・・。メガネをかけた、サラっとした黒髪、ドラマーにしては華奢な体格。二年、いや三年生か?
なんでもない、というかどうしようもない演奏でも、ドラムのプレイは異質だった。さりげないハイハットのきざみ、スネアへのアタック、バスドラのタイミング、どれをとっても何か粋なノリを感じさせた。
へぇ、結構やるじゃん。
ドラムのプレイを注視して、立ち止まっていると、太一が声をかけてきた。
「なぁ、ケンちゃんって、ドラム好きなん? ていうかドラム叩くのが?」
「ん? ああ・・・。ってそういえば太一、おまえ」
さっきバチがどうのって言ってたような・・・。
「あ、もう時間ねえよ? はやぐ校舎に入んねぇど!」
慌てた太一は急いで昇降口へ剣之介を引っ張っていった。
フゥ、あぶねぇあぶねぇ。
クラスが違うので、太一とは廊下で別れ、剣之介は一人、教室に入った。なんだか久しぶりに一人になった気分だった。引越しからずっと、二人でだけで生活していたから、こんなふうに同年代の人間が沢山いるのは、不思議な感じがした。
黒板に貼りだされていた座席表を見て、自分の席につく。剣之介の席は、窓際から二列目の一番後ろ。右側は女子だが、男子の方が数が多いためか、左の窓際の列は男子だった。ということで、剣之介の隣は、右は女子で、左は男子となっていた。
なんか鬱陶しいなぁ。
剣之介はチラリと窓際の男子を見る。アイウエオ順の最後だから、多分名前は『渡辺』とかだろうな。そして坊主頭。もしかして太一と同じ野球部なのか? まぁ、どうでもいいや。
教室のなかは、微妙なざわつきだった。まだ、大抵の人間の顔を知らず、かといってただ黙って席に座っているのも我慢出来ず、皆、こそこそと隣や前後の人間に話しかけては黙る、の繰り返しだった。中には知った者同士や、違うクラスから訪ねてきた友達と話しているのもいたが、それは少数だった。
そのうち、担任の先生らしい男が入ってきて、式が始まるから、体育館へ、という指示が出され、皆それに従った。
そして、退屈な入学式が始まった。
薄ら寒い広い体育館んの中、所々で石油ストーブが焚かれ、灯油の匂いが立ち込め、パイプ椅子が並び、後ろの方には、親たちが控えていた。
剣之介は寒いのにイラつきながらも、終始居眠りしていた。
下らないんだよ、こういう見世物は。
式の途中、何度か起立しなければならない場面があって、その度に起こされ、また眠りにつくの繰り返しで、結局機嫌は悪くなる一方だった。
式がようやく終わり、冷えた体で寒い廊下を歩きながら、また更に寒い教室に戻った。
いったい何なんだ? この寒さは。もう四月だぞ?
イライラしながら席についた。教室は、皆多少慣れてきたのか、さっきよりもざわついたものになっていた。そんなことお構いナシに、剣之介は両手を制服のポケットに突っ込み、椅子にもたれ、眠ろうとした。
「なぁ、おまえ何中?」
不意に、隣の坊主頭が訊いてきた。
ウゼエ、俺は今眠いんだ、話しかけんな、とすぐに思った。それに横浜の中学の名前を出しても、知るわけないだろう。そう思うとますます面倒に思われた。
「あぁ、俺、県外から来たから、知らないとおもうよ」
「へぇ、どこ? なんかの推薦?」
あれ、喰いついてきちゃったよ。厄介だ。それにココの連中ときたら、言葉の訛りはあまり無いくせに、発音が微妙に訛ってる。だから標準語なのに変なイントネーションで話されると、妙に聞き取りずらく、イライラしてくる。それでいくと、言葉も訛っている太一は、まだイイ方だった。
「どうでもいいじゃん。俺、寝るから、邪魔しないで」
そう言って剣之介は机につっぷした。
「なんだよソレ? オイ、無視すんなよ」
ハッキリと拒絶したのに、まだ坊主頭は話しかけてきた。
まったく太一といい、コイツといい、ココの連中は、みんなこんなにしつこい奴らばかりなのか?
「ウルセエ、話しかけんな」
机に伏せたまま、剣之介は答えた。
「ぅんだと? コラ、起きろ」
坊主頭が軽く椅子を蹴ってくる。
「バカ、死ね」
剣之介も、寝たまま隣の椅子を蹴る。
「おまえが死ね」
「オイ、いい加減に・・・」
我慢の限界がきて、剣之介が机からがばっと体を起こし、坊主頭と向き合った。
この野郎、と胸ぐらつかんでやろうかと思ったら、相手はなんだか違う方向を凝視していた。教室の入り口の方・・・。そちらから、今では聞き慣れた、そしてこの学校で唯一であろう知っている声が聞こえてきた。思わずそっちを振り返った瞬間、しまったと剣之介は思った。
「おお~!! ケンちゃんここに居た! お~い!」
ざわめきが大きくなり始めた教室で、太一の声が届く。教室の入り口で、背伸びをして手を振る太一。
「ケンちゃ~ん、無視すんなって。聞こえてんだろ~! お~い!」
「う、うるせえ!!」これ以上無視していると、歯止めが利かなくなると思い、仕方なく答える。「バカ! 名前呼ぶな!」
「なんだよ、せっかく様子見にきてやったのに~」
「頼んでねぇだろ! 帰れ!」
「あ、そうだ、それで思い出したげど、オレ、部活あるがら、一緒にかえれねぇがら! ゴメンな」
「ウルセェよ! おまえがどうでも、最初から俺は一人で帰るつもりだ!」
その辺りから、クラスの大半がこのやりとりに耳を傾け始めていた。
うう、早くこの会話を打ち切りたい。剣之介はその気配を感じ、焦り始めた。
「ああ、それがら・・・」
「もうイイ!、あとは帰ってからにしろ!」
「今言っておがないど」
「なんだよ!」
「俺、今日の晩飯はハンバーグ希望!!」
「バ~カ! 今日は肉の特売日じゃねぇんだよ! 明日だ明日ぁ、あ、あ、・・・アレ?」
いつの間にか教室はシンと静まり返り、誰もが剣之介と太一の会話に注目していた。
『え? なに? あとは帰ってからにしろ?』
『あいつら一緒に住んでんのか?』
『肉の特売日って、あの人が奥さん役?』
『てことは、あっちが旦那か?』
そんな囁き合いが聞こえてくる。
「わがった! じゃあ、ハンバーグは明日な! 今夜はケンちゃんにまがせる!!」
太一はニカッと笑い、もう一度大きく手を振って、廊下へ姿を消した。
途端に教室がざわめき出す。それまで以上に。
うわ、うわ、うわ! ナンダヨコレ! 俺、いつものノリで、アホなこと言っちゃったよ!!
剣之介は、顔を真っ赤にして、変な汗がダラダラと流れ落ちていくのをそのままに、自分の席で固まっていた。
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