その人は突然現れて、「預かってくれ」と地面に倒れこんだ僕に刀の鞘をよこした。
鋭い、というか力強い目で真っ直ぐに覗き込んでくる。
正面から見つめられるなんて、いつ以来だろう。
こんな風に見てくれるなんて。認知してくれるなんて。
僕はゾクゾクしてドキドキする。
自信と力に満ちた目を見ていると、なんだか彼を信じても良い気がしてくる。
僕は黙って彼の差し出した鞘を受け取った。
非現実的で絶望的で異常な状況に学園の制服で出現し、僕を『春日麿』と呼び、探していたと言う。
僕を知っていたのか?
僕の存在を知っていたのか?
僕を見つけてくれたのか?
「一瞬で終わらせる」
そう言って彼はニッと八重歯を見せて破顔した。薄暗い月明かりの下、太陽みたいな笑顔だった。
なんだろう、どこかで見たような、懐かしい感じがした。
いや、懐かしいというより、もっともっと暗く深い感情。
何千何万年もの間地中深くで凝り固まって生成される鉱物みたいな。
それはすごく濃密なものなのに、僕はとても穏やかでいられた。
もう大丈夫だと。
彼はすばやく背を向けて立ち上り、自然体で日本刀を構えたと思ったら、次の瞬間、重い爆発音と共に姿を消してしまった。
音とまたしても突風に身をすくめて、顔を上げると、左の方角から彼の声が聞こえてきた。
「大丈夫、終わったよ」
え?
もう?
あの怪物めいたこの世の物ではないような犬達を?
三匹もいたのに?
終わったって?
すると声がした方から、彼がゆっくりと歩いてきた。刀の刀身をハンカチみたいな布で拭いながら。
「預かってくれてて、サンキュー」
「え?」
「鞘」
「あ? ああ」
慌てて鞘を渡そうとすると、
「お、おまえ何ソレ? 手ぇめっちゃ怪我してんじゃん!! バカじゃねぇの? ちょ貸してみぃ、手ぇ」
うわ、怒られた。
ていう今気付いたんだ。
ま、僕も怒涛の急展開で傷の痛みを忘れてたんだけど、今になって戻ってきた。
「余りのショックで・・・」
そんな言い訳をしていると、彼は自分のネクタイを解いて、包帯代わりに僕の左腕に巻き始めた。
「たく、おまえさぁ、無茶すんなよ。こんなとこ来るんだったら一言オレに言ってけっつうの」
また怒られた。
知らない人に。
「だいたいおまえは昔っから・・・」
言いかけた彼は不意にネクタイを巻く手を止めて黙ってしまった。
なんだろう、またなんか怒られるようなことしたかな。
ん? って、昔から?
この人いったい・・・。
「あの、どうかしましたか?」
「ん、いや、なんつうか、思い出しちまってさ。ついこの間みたいな気がしたけど、随分経っちまったなぁってさ。あれから、一万年近くだもんなぁ」
「・・・・・」
えっと、一万年って言いました? この人。
聞き間違いかもしれない。
一年の。
「ま、オレだってずっと起きてた訳じゃねぇし、最後の封印から目覚めて今まで150年くらいだしな」
「・・・・・」
あれ? 話に付いていけてない?
僕の理解力や知識が足りないのかな。
それとも彼の問題なのかな。
「あ、あの。そういえばお名前は」
とりあえず訊いてみた。まずそこから始めてみよう。
「ん? あ、そっか。おまえは知らないんだよな・・・」
彼はそこですごく悲しそうな顔をした。
僕は彼の名前を知っているべきだったのかな。
どうしよう。僕は何も知らない。
彼の名前も顔も、そして今起きていることも、知らない。
「オレは、万木非時。一万の万に樹木の木。それに時に非ずでトキジク」
「変わった名前ですね」
それしか言えない。
言うことが無い。
「ホイ、応急処置しゅーりょー」
「あ、ありがとうございます」
スゴイ。随分包帯の巻き方が上手だ。ただ巻いただけなのに(しかもネクタイ)痛みまで和らいできた。
「上手ですね、手当て」
「ん? まぁ長く生きてるしな、役割上、こういうの多いんだよ」
「はぁ」
どうすればイイんだろう。どこまで話を合わせればイイのかな。
「あの、そういえば、どうしてここに?」
どうしてこんなところに来たの?
どうやって僕を、この誰にも認識されない僕を見つけたの?
「ああ、そりゃあおまえが呼んだからだろ。あ、それから、敬語止めろよ。そんなの使う仲じゃねぇだろ? だいたい同じ一年なんだし」
ああ、やっぱり日高見学園の生徒なのね。学年も一緒なんだ。いったいどうなってるんだ?
「さて、所詮応急処置、とっとと山下りて、ちゃんとしなきゃな」
彼は刀を腰に佩いて、地面に正座していた僕の体を両手で抱え上げた。
「え? ちょちょっと・・・」
ウソ!! いくら僕は体小さいからって、それでも53㎏くらいはあるのに、この人お姫様抱っこして山下りる気? だいたい身長そんなに変わんない体格なのに。
「なぁに大丈夫だって。だいたいオレは・・・」
「あ」
二人で揃えて声を上げてしまった。
何だかはわからない。
だけど、何かがおかしかった。
確実に変だった。
すべてが変だった。
木も草も空気も夜も闇も月も大地も。
「なんだ? コレ」
「え?」
「おまえも感じたか?」
僕は答えられなかった。
「あれあれあれあれー? せっかくのショーは終わりかい?」
人? の声?
背後から突然聞こえてきた。
「一旦降ろすぞ」
彼は短く囁いた。
僕は地面に足を着き、二人で振り返る。
そこにはとても有り得ないような光景があった。
「随分と時化た終いだね。それに呆気ないし早すぎる」
そう言ったのは、タキシードのような上等そうな黒い服、フリルのついたシャツに蝶ネクタイ、装飾の付いた胴巻き、白い手袋、靴は草で見えないけどきっとピカピカの革靴だろう、そんな格好をした細身で長身の、180cmはあろう褐色の肌の男が、口元に不適な笑いを浮かべながら鋭くこちらを睨んでいた。
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